
いわき湯本温泉の源泉は地下800メートルから汲み上げられていて、
2〜3万年以上も前の海底に堆積した地層に閉じ込められた”海洋深層水”の成分が含まれています。
古代の地下水はマグマの地熱によって温められ、
そして地表に出るまで全く空気に触れていないのです。
空気に触れた源泉は時間の経過とともに
およそ72時間ほどで、ただのお湯になってしまいます。
源泉のPHは8.1。これは人間のPHと同じであり、
人間は海から生まれたと言われるゆえんです。
人間の血液や母胎の羊水と海水の浸透圧はほぼ同じであるため、
この温泉に入ると体全体が癒される感じになるのは、まさに太古のロマンを感じるからなのでしょう。

”源泉掛け流し”とは、源泉の湯が湯船に絶えず注がれ、湯船からお湯が流れ出る温泉のことです。
源泉は季節ごとに、またその日の天候によっても温度が変化します。
快適な温度を保つために、365日1時間に1回の温度チェックを行っています。
当館にお泊りのお客様、日帰りのお客様にも本物の温泉をゆっくりとお楽しみいただきたく、
深夜に浴室の清掃をし、源泉の温度が60度ほどあるため、
お湯を少しずつ湯船に入れていき朝を迎えます。
加水など一切せずに、源泉のままの新鮮な温泉を掛け流しにする『本物の温泉』です。
いわき湯本温泉は1300年もの歴史があり、古くは「三函(さはこ)の湯」と呼ばれ、
愛媛の道後、兵庫の有馬温泉とともに日本三古泉ともいわれています。
泉質は全国的にも珍しい、含硫黄−ナトリウム−塩化物・硫酸塩温泉で
俗称『硫黄泉』は「美人の湯」として美肌効果の高い温泉です。
肌の角質が柔らかくなり新陳代謝が促進されますので、美肌づくりに最適です。
ゆったりと本物の温泉に入った後はつるつるの玉肌をぜひ実感してください。
また解毒作用や保温効果も高く、神経痛、婦人病等を始め数々の効能があります。
当館にはバルネオセラピスト(温泉保養士)が21名おりますので、温泉のご利用に関してどうぞ何なりとおたずねください。
「バルネオセラピスト(温泉保養士)」とは、温泉医学、予防医学に基づき、温泉の持つ 保健的機能を引き出す知識、
技術を習得し、温泉療法を活用した健康づくりを安全かつ適切にアドバイスすることができる人材です。
【温泉の泉質】
源 泉 名 / いわき湯本温泉 湯本温泉源泉
源泉所在地 / 福島県いわき市常磐湯本町台山20番1
源 泉 温 度 / 59.8℃(気温17℃)
成 分 / 含硫黄、ナトリウム、塩化物
泉 質 名 / 硫酸塩温泉(硫黄泉)
p H 値 / 8.1
(略記泉質名 含S-Na-Cl・SO4 温泉) |
【療養泉分類の泉質に基づく 適応症、禁忌症】
泉質別適応症 / 慢性皮膚病、慢性婦人病、切り傷、糖尿病、火傷、動脈硬化症、虚弱児童
一般的適応症 / 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
泉質別禁忌症 / 皮膚・粘膜の過敏な人、特に光線過敏症の人
一般的禁忌症 / 急性疾患(特に熱のある場合)、活動性結核、悪性腫瘍、心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、妊娠中(初期と末期)、その他 一般に病勢進行 |


「舊湧出地址」については、大正3年に湯本村三函地区に4箇所の源泉があり、
第一源泉 三函181番地 さはこの湯のあたり
第二源泉 三函206番地 当館の隣の鯨岡邸が現在三函206番地
第三源泉 三函153番地 松柏館の駐車場あたり
第四源泉 三函231番地 斉菊の駐車場あたり 明治35年に鑿井が160余箇所、明治37年には210余箇所となり、その後湧出量が減少し
明治38年9月に「湯本温泉保全組合」を組織しました。大正8年に温泉が枯渇。
大正3年には湯本村役場が上記の4箇所の源泉を調査しましたが、そのうちの1箇所が第二源泉で
現在の碑のあたりと思われます。
調査内容の一部としては、大正3年6月の記録として「淡黄褐色・微アルカリ性・硫化水素の反応・臭気強し・白色の湯の華の沈殿有り・
温度45度」という記録が残っております。
三函の由来〜湯ノ岳山頂に「戒」「定」「慧」の三書をしたためた経典を
一箱ごとに祈願埋納したことから三箱山といわれ
その麓にあったことから地名を「三函」というようになった説があります。
また、湯ノ岳山頂より北へ約100m降りたところに神座(かみくら)といわれる三種の型
「鏡」「剣」「瓊」の形態をなす三巨石、三つの箱石があったことから三箱山といわれた
その麓にあったことから「三函」という説があります。
「箱」は神主が使用する字で、「函」は地名などに使用される字といわれています。

御斎所街道の碑〜西白河郡東村といわき市を結ぶ街道。主要地方道いわき石川線(県道14号線)と白河石川線との俗称。
現在の湯本町と石川町を結ぶ全長約65km。大正初期は、平町⇔内郷村⇔湯本村⇔石川町でした。
当館横の碑に記されている「至白河・須賀川宿拾五里」は、御斎所街道を通り「白河の関」までの距離であり、
「至磐城平城下弐里」は、当時の平までの距離であり、「水戸城下弐拾五里」は、陸前浜街道を通り水戸までの距離です。
御斎所街道には、御斎所峠・海抜150m、御斎山・標高382mがあります。
湯本は、温泉以外にも「道」の歴史があり約1300年前の開湯時代や
南北朝の騒乱時代の合戦の場(傾城、堀坂など)としても有名です。
「道」とは、古来人々が糧を求めて往来した野山の道筋
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戦乱の中、武士が馬をかけめぐらせた道
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人々が旅して文物が行き交った歴史の道
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文化の交流そして文化の道は今の社会を築いた。
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